注目キーワード
  1. デザイン
  2. 表示速度
  3. SEO
  4. AMP
  5. PWA

競艇埼玉支部選手

競艇埼玉支部選手

それでも地道に努力を積み重ね、今ではターン技術ならば全競艇選手のなかでもナンバーワンではないだろうかと思えるようなターン技術を獲得、大レースを次々と制覇するほどの選手へと成長しました。

また、佐藤絵美さんのお兄さんは競輪選手である「佐藤慎太郎」選手です。
佐藤慎太郎選手はS級S班というクラスに位置しています。
S級S班は競艇で言えばA1級クラスであり、最高ランクに位置する選手のひとりといえるでしょう。

実は桐生選手のレースが始まる僅か数分前、良きライバルであり先輩でもある新田祐大選手が競輪選手日本一を決める、「日本選手権」の決勝に出場しています。
実は競艇をやっている選手のなかには競輪が好きな人が多く、この日桐生選手はほかの選手と共に集合時間ギリギリまでこのレースを観ていたそうです。

調べてみると、競艇選手になるための条件に身長制限があり、どちらかといえば小柄だった自分にはピッタリの競技だと感じ、競艇選手を目指すことを決意しました。

競艇選手には体重制限もあり、鍛えぬいた太ももの筋肉でかなり増量していたであろう桐生選手は、事前にかなりの減量を強いられていたでしょうが、桐生選手自身は「体重を増やすことのほうが苦痛だったので、競艇選手用に体重を減らすことはまったく苦でもなかった」と語っています。

とはいえ70キロ近くまであった体重を50キロ台まで落とすのは相当苦労したことは事実のようで、やまと養成学校に合格するまでには3回チャレンジすることとなりました。
やまと養成学校に入学後、桐生選手は競艇選手としての知識と技術を学ぶ日々を送るようになります。

競艇において、レース中の事故は死につながる可能性があるため、最悪の事態を防ぐための配慮ではありますが、競艇はインコースが圧倒的に有利な競技であるため、新人選手は実質的に大幅に不利な状況でレースに挑むことになります。

ボートレースクラシック優勝からわずか半月後の4月9日、大村競艇場での「GI開設63周年記念・海の王者決定戦」に桐生選手は出走したのですが、なんと優勝戦でフライングをしてしまい、失格となります。

競艇のレースのなかには年齢制限を設けているレースがあり、なかでも有名なのが30歳未満の選手を対象とした「新鋭王座決定戦」です。
しかし今は新鋭王座決定戦ではなく、2014年には「ヤングダービー」に名称が改められています。

初優勝獲得は2011年8月18日、デビュー戦と同じく地元戸田競艇場でのことでした。
予選レースすべて連対という安定した走りで突破し、準優勝戦では見事1号艇での出走となります。

しかし自転車競技では限界を感じて高校卒業をもって引退、競艇選手への道を歩むことになりました。
華の100期生と呼ばれた中でも桐生選手はその才能を早くから開花させ、同期ではトップの成績で卒業、デビュー節で早くも初勝利に輝くと、デビュー年に3連対率4点越えという驚異の成績を残します。

優勝戦では1号艇に当時埼玉支部ナンバーワンである「平石和男」選手、2号艇に師匠である西村勝選手、桐生選手は4号艇となり、1号艇1着率が低い戸田競艇場とはいえ、かなり不利な状況からのスタートとなりました。

2022年桐生選手の初優勝は、地元戸田競艇場で開催されたG1レース、「プリムローズ・開設65周年記念」でした。

競艇で使用されるエンジンは、各競艇場が所有していて、抽選によって使うモーターが決まるのですが、公平なレースとなるように基本的に全てのモーターは同じ会社で、同じ設計図で製造しています。

桐生選手は2012年に佐藤絵美さんと結婚しています。
実は佐藤絵美さんもかつて競艇選手を目指しており、ふたりは「やまと養成学校」で知り合い、そのまま交際をはじめたそうです。